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「車輪の下」で

ヘルマン・ヘッセ著作、光文社新訳(07年刊)の「車輪の下で」を読んだ。
長らく「車輪の下」というタイトルで親しまれていたと思う。
(勉学の)優秀な少年ハンスを主人公とした、思春期の危険な時期を描いた作品。と一言で済ませばそんなところだが、その実けっこう強烈な教育(いや、大人への)批判となっている。読んでいてとても切ないし、歯がゆい。



ハンスは早熟な少年として描かれる。町で久しく現れなかった「学力」の持ち主だが、その「せい」で町の大人たち(または社会)から将来のレールを敷設される事となる。すなわち神学校への進学と、その後の期待である。
また、ハンス自身も、ある意味で子供らしい優越感を持つようになる。それまで楽しみにしていた森林浴や釣りといった「自然との触れ合い」は無くなっていき、1年間の猛勉強が始まる。
無事に試験をパスするハンス。結果は2位。上出来を祝う大人たち。しかし、進学までの休暇も、大人たちの「気づかい」によって、結局猛勉強への期間へと突入していく。
神学校へ入学後待っていたのは、少年なら誰しもが持つ「不安」との戦いであった。ハンスは学校生活の中で、大人たちの無理解に翻弄されつつ、稀有な友情を得ながらも、その「学力」を落としていった。
その結果に待っていたのは「大人達の善意」だった。ハンスはその友情に学力を邪魔されたと思い込まれ、ハンスのからだが求める自然との触れ合いは精神病のせいだと思い込まれたのだ。

という感じで進んでいくお話。
ロマン・ロラン著作の「ジャン・クリストフ」もそうだったけれど、とにかく「子供が持つ激情への、大人の無理解」は読んでいてとてもつらい。そしてヘッセが、学校教育の中にそういった危険が数多くひしめいている、と叫んでいるのが聞こえてくるようでもある。
学校教育の現場に悪人はいない。教師達は確かに「善良」なのである。

そういったお話。
それは親でさえも、教会の牧師でさえも、そうなのである。


ハンスが恋をする場面が印象的だった。
帰宅してから彼女の姿を事細かく思い起こすが
「──ただ、彼女の顔だけはもはや全く思い出せなかった」とある。

自分が少し前に人を好きになった時も、確かにこれがあった。
Skypeで知り合いに「好きな人の顔が思い出せない」と相談した程だ。
(これタイピングしてて猛烈に恥ずかしい)
その時は「酷い奴だな」と言われたが、僕だけではなかったのだなあ。
そうかハンス、ハンスなら分かってくれるのかもしれない。


「子供に関係する」大人ならば、読んでみるのも良いかなと思う。
できればロマン・ロランの「ジャン・クリストフ」も。
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