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創造と破壊

Twitterに投稿したのだけど……

サン・テグジュペリは飛行機乗りだった。それも命知らずの。
そんな彼は飛行機に乗って、撃墜されて死んだ。
彼はそういった人生の中で「星の王子様」を書き上げたのだ。


サン・テグジュペリの著作に「夜間飛行」がある。
彼の人生を色濃く反映させた、飛行機乗りと航空会社社長の物語である。彼は危険なフライトも数多くこなし、それでも名作と呼ばれる文学作品を残していった。なぜ、そんなことができたのだろうか

「小説家になりたい」という子供がいたとする。

この時、親や大人、教師達はどう指導するのだろうか。
ともすれば僕達は「専門家」になりたがる。小説家は小説の専門家であり、音楽家は音楽の専門家であると思いこんでしまう。そして「成功した彼等」を追い、彼等の成功を学ぼうとする。表現手法のプロとしての、彼等を追っていこうとするのである。

サン・テグジュペリの「仕事」は飛行機乗りであった。同時に、作家であった。彼にとってどちらが「メイン」でどちらが「サブ」などということは考えられていたのであろうか。
教師は「作家になりたければ、本をたくさん読んで、文学部のある大学に行きなさい」と指導すべきなのだろうか。それが、小説家としての成功の道なのだろうか。

アニメーション監督として有名な富野由悠季さんが、高校二年生からの「絵を描く仕事に就くにはどうしたらいいか?」という相談に答えている。その返答が掲載された雑誌の画像がひとつ有名になった。
その返答の中で「もはや憧れている場合ではない」と突きつけた。毎日毎日訓練し続ける気概ではなく、実際にしていかねばならないという現実を突きつけた。

また、別のインタビューでは「アニメーション関係を目指すのだから、アニメのことを勉強していれば良いというのは大きな間違いだ」というような返答をしている。表現にはあらゆる要素があるのだから、教養を深め、様々な体験をし、全てのものから学んでいくという姿勢が無ければ、アニメーションは作れないというメッセージだと思う。


ロマン・ロランの著作「ジャン・クリストフ」には……

音楽家は音楽ばかりで養われているものではない。人間の言葉の抑揚、身振りの律動、微笑の諧調などはみな音楽家に、仲間の者の交響曲以上の音楽を暗示するのである。


職責を分銅せず、強い実生活を支持としない芸術。
おのが肉体のなかに日々の務めの針を感じない芸術。
パンを得る必要のない芸術は、
そのもっともよき力と現実性とを失うものである。


以上のような記述がある。

サン・テグジュペリも、ロマン・ロランも多くの作品を残してきた。
しかし、その中でも「自分の実生活」が色濃く続けられていた。
もちろん「小説家」として専門に活動している作家も数多く存在する。

創造すること。それは死を殺す事である。


またニーチェの「ツァラトゥストラ」には……

俺が愛する人間は、自分自身を超えて創造しようとし、そうすることによって破滅する人間だ──



「作品」を生み出すには、確かに「強い実生活」があるのだと思う。時代を反映し、突き抜けるような思いを乗せて、自身の体験から学び、伝えたい事を乗せる。
「強い実生活」とは、安穏とした毎日を続ける事ではなく、毎日時々刻々と更に前へ進んでやろうとする「革命の日々」ではないかと思う。自分自身への勝負の毎日ではないかと思う。
それは毎日が「蘇生」であることを意味する。古い自分を破壊し(殺し)、目の前の自分を創造する(生む)。創造は破壊から生まれてくるのかもしれない。

だから、そんな子供にはなんと言えばいいのだろうか。

読んで、読んで、読んで。書いて、書いて、書いて。そして「生きなさい」と、「立ち向かい続けなさい」と指導してあげなければいけないのかもしれない。
お金が無くて身動きが取れないとか、仕事に追われて創作活動が出来ないとか、そういうことも全部含めて自分のものとしていけと、勝負していけと訴えなければならないのかもしれない。

そんな風に指導する教師がいたとするなら、それは異端なのだろうか。
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