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FEZ 半歩禁止 がなぜ本質的ではないのか

FEZにおいてずっと問題視されていた「半歩」について、公式で禁止・処罰という対応が取られた。
僕は今でこそブログやTwitterではPapermanとかのつながりが大きく、このブログもどちらかというとそれらの知り合いに向けたものとしてだけ存在している。だけれど、僕にとってFERoDもしくはFEZはとても大きな存在となっていて、プレイしなくなって数年経った今でも動向は常に気になっている。
僕はずっとこの「半歩」について個人的にモヤモヤとした思いを募らせていた。この存在に気づいたのはRoDの時代だったから、もう5年は経過していると思う。しばらく離れていて何がしかの「根本的解決」が進むだろうと楽観視していたところがある。

今回の対応を聞いてから、それぞれ掲示板やSNSをチェックしてみて、どうしても腑に落ちないところがあったので「何年もやってないクセに」と思われることは当然だと理解した上で、今回の記事を書こうと思うに至った。

心ある人はお分かりなのだとは思うけれど、SNS等で見る半歩に対する議論が本質的でないと僕が思う点について書かせて頂きたく思う。


半歩の構造については公式の対応に反する事となるのでこちらでは言及しない。


■FEZは対戦アクションゲームでもあるはず

よくSNSや掲示板で争点になるのは……
「半歩を使ってプレイしているのは卑怯」
「対戦ゲームとして公平ではない」
といったような部分が目立つように見える。

僕はこれらの論調が本質的ではないと思う。
FEZは格闘ゲームのように「瞬間的判断を要求される」「基本的に平等条件で」のアクションゲームであることは間違いない。そして相手は人間であるし、対戦相手として何を考えているかは普通読めるものではない。対戦とは勝つ事が目的であり、自分の考えを読ませないことは勝負の基本であるからだ。

対戦では「勝つ事・負ける事に納得できる」という点はとても大切である。
もちろん、自分が負ける事には悔しいがどうあがいても負けた原因は存在するから少なくとも納得はできる。格闘ゲームがとても分かりやすい例だと思う。


■対戦アクションにはあるべき姿がある

だから対戦のあるアクションゲームは「見えているものが見えている通りに(もしくは意図されて作られたものが意図されたとおりに)」反映されていなければならない。相手のパンチが見えたとおりに、自分のキャラへ見えたとおりにHITする。だから自分は攻撃を食らうのだ。
また、たとえば念力のような「見えない技」であっても、その範囲や作動の仕方は決まっている。ちゃんと勉強していればやはり「意図されたとおりの条件になったから」攻撃を食らうと分かるのである。

しかしFEZの半歩は違う。
相手が立っている点から、いわゆる「1歩」(正確には方向キー1回入力分の距離)だけの半径360度、どの方向に「ズレて」いるのかが読めない
遠くから矢を撃ち、相手のド真ん中に当たっているように「確実に見えても」HITしない。そういう事がFEZではよくあるのだ。本当によくあるのだ

これはアクションゲームとして適切ではない。
「瞬間的に判断しても報われない」 し
「とてもじゃないが平等条件に思えない」 し
「見えているものが見えている通りに動いてない」 し
「だからこそ勝つ事・負ける事に納得できない」 からだ。

厳密に言えば「平等条件」ではある。こちらも同じことをすれば良い。
だが、FEZは戦略・戦術ゲームであると同時に、アクションゲームでも本来はある。(と思いたい)
上の4つのカギカッコの1個が満たされていたとしても、それをしてアクションゲームとして納得できるプレイヤーはそう多くはないはずだ。


■対戦ゲームでの「楽しみ」はそれぞれ違う

そしてこれら残りの3点については、プレイヤー毎にその重視度は異なる。
「何が何でも勝てれば嬉しい楽しい」というプレイヤーもいる。
「近々勝負の瞬間的興奮が楽しい」というプレイヤーもいる。
「とても理論的で納得できる勝負が良い」というプレイヤーもいる。
「多少のハンデは構わない」というプレイヤーもいる。

だから……

「半歩っていう微妙なものがあるんだから、使わないように考えるのが普通なんじゃないの!?」
とか

「全員がちょっと勉強すれば同じ様に使える訳だから、お前らも使えばいいだろう」
とか

っていう一見反対の意見がぶつかるのだ。
もう一度言うけれど、これらは「一見反対の意見に見えるに過ぎない」のだ。

結局はアクションゲームに求める理想はどちらもほぼ一緒である。
見えているものは見えている通りに」判定される。
見えない範囲があるならそれは常に一定で、誰もが納得できる。
そういうものを求めている点では一緒なのだ。

違うのは「アクションゲームに求める楽しさ」だけである。
強キャラを使い続けてでも勝つ事を望むのもいる。
全キャラを研究して、そのゲームのクセまで知り尽くして勝とうと思うのもいる。
同キャラ同レベルでの対戦に燃えると思うのもいる。

でも、それらに対して僕らは強く批判するだろうか。
あまりのアンバランスならば批判もあろうが、されるべきは制作側ではなかろうか。

だから、FEZの現状においては
どんなプレイヤーが卑怯だとかいう議論以前の問題」なのだ。
もちろん、個人の好き嫌いをここで批判するものではない。



=====


■「意図的かどうか」に線を引けるか

もう一つ、本質的ではないと思う点がある。
半歩を意図的に行っているかどうか」という部分だ。
実際、意図的に最大効率で使っているプレイヤーは存在するだろう。そういったプレイヤーに対して「消えてもらいたい」と思っているプレイヤーがいる事は理解できるし、僕はそれに対して批判を持たない。

繰り返すが「半歩の構造」については深く言及をしない。

FEZにある「引き撃ち」「余計な偏差撃ちの必要性」「後出し有利の一部状況」は全て、この半歩と原理を同じくしている。極端に言ってしまえば、後ろに下がっているだけでも「半歩の原因となる状況」は常に発生しているのだ。誰でも、ほぼ平等に

だからドミ時代から、真横に走っているキャラに対して弓などは「見た目どおりには絶対あたらない」し、相手が一直線に走っていれば「余計な偏差距離」は大体一定で済んでいたのだ。

「なんだか見た目どおりに当たらない」という現象が大なり小なり全て半歩と原理を同一にしているとして、さて「どこから意図的と判断する」のか。僕はここがとても疑問だ。


■僕らが遊んでるのはアクションゲーム

それでも「そんなのちょっと考えればすぐわかるだろ」という人はいるだろう。僕もその意見は理解できる。つまり前線での「前への幻影飛ばし」みたいな操作である。これを常に最大効率で発生させようとすれば、確かにかなり意図的でなければならない。相手にしてみればかなり厄介な相手となる。
(FEZが立ち位置や流れを読むという要素に重きを置くというのも、僕は理解した上で言うけれども)

だが、この意図的な操作が「とても簡単なもの」だとしたらどうだろう。

想像してみて欲しい。
マリオを遊んでいて、とにかくBダッシュでステージを突き抜けているとする。
すると突然目の前に敵が現れた!! そしたら多くの人はどうするか。
進行方向とは逆に入力するか、ジャンプするか。そんな回避対策を取るに違いない。
(そのまま突っ込んで死ぬのもいるだろうけれど)

半歩とは、ぶっちゃけその程度の入力量なのだ。

格闘ゲームで言えば 「→←→パンチ」 みたいな技くらいのもの。
僕らが遊んでいるのはアクションゲームである。相手も同じ人間で、微妙な距離感で勝負をする事だって珍しくはない。そして敵も味方も同じ場所にたくさんいる。色んな攻撃が色んなところから飛んできているのだ。

やるだろう! そのくらいの操作は!!

「半歩野郎は消えろ」と言うのならその本人は……

本当に半歩を発生させていないのか?
その頻度は本当に低いのか?(そしてどんな頻度なら「良い」のか)
起こさせない為に、むしろ半歩の構造を本当に理解しているか?
「半歩の幻影」が常に自分で想像できるまでになっているのか?

勘違いをして欲しくないのだが「半歩野郎は消えろ」と心情では僕も思っている。そのように言う人達を批判するつもりで上のように言及した訳ではない。そこは理解して頂ければと思う。

もし、半歩発生させてないし、頻度も低いはずだし、その為の構造を理解しているし、もし発生させてもおおよそしっかり自分で状況を想定できるという人がいるならば(ベテランは結構このあたりはできるはずだ)

逆に問いたい
前線でそれをやろうと思えばそれってアクションゲームになるのだろうか?


■特殊な操作と、通常の操作

上の例で出したように、半歩はどこまでも「通常の操作」の域をでないと僕は思う。何か普段使わないキーを入力したり、余程考え付かないような操作をしない限り出ないというのであれば話は別である。
繰り返すが、半歩の操作は恐ろしく簡単である。少しコツを掴めば「半歩の幻影」を常に自分で把握することだってできる
でも、普段の操作だって似たような動きはする。僕はここに議論のちぐはぐさを感じる。

よく叫ばれる「半歩野郎」は、意図的な操作を著しくやった奴という意味合いが含まれているだろう。
でも彼らがやっているのはどこまでいっても「通常の操作」であることには間違いない。
戦闘しながら、間合いをとりながらファンクションキーを特定の組み合わせで押したりとかっていうことは、まず行っていないはずだ。本来許された、普通の操作なのだ


■対戦は白熱が起こる

FEZの前線で片手をやっているプレイヤーはどう考えているだろうか。
プレイしていれば「上手いな」と思うプレイヤーは見分けがつくことがある。
ああ多少半歩を使ってるかなってのも、確かに分かる。

では、戦場が拮抗していて、裏方もお互いに健闘、召喚も良い勝負をしている。そして重大な前線の最前線ド真ん中で、自分が片手をしていて予断を許さぬ攻防の激しさ。「アイツ」にバッシュを当てさえすれば状況はひっくり返るかもしれない!!ゲージの1ミリを勝ち取るかどうかという、そんなタイミングはFEZをプレイしていれば必ず一度はやってくるだろう。

その時「僕は半歩を起こさせない為に、あーしてこーして」などと考えられるのだろうか。前に行ったり、後ろに行ったり。半歩はそれだけで起こる。意図するかしないか、どちらにしたって、そこに同じ操作が発生する事は十分にある

そういう状況の事を言っているのではない。そんなのは仕方ない。

と、言うのだろうか。
「その1つの半歩で勝敗が決したかもしれない重大なモノ」なのに?
じゃあ意図的って一体どういうことなのだろう?
どこからを意図的と言うのだろう?
そんなに重大でもない場面でのあからさまな半歩だけを意図的とでも言うのだろうか?

ゲームとは言え、人間と対戦をしているのである。
勝負が極限になれば「できる操作は全部やる」のが対戦ゲームである。
そこに余計な思考はどんどん入れられなくなってくる。負けるからだ。

結局は……
半歩を起こさない為に「アクションゲームとしての歓びを捨てる」か
割り切って「何が何でも勝とうとする」か

そういう風にしか分かれないのではないだろうか。
そしてこれらはお互いがお互いを非難できるだろうか。


■本質はどこにあるのか

すでに多く言われている事だろうけれど、本質は別にある。
半歩を使ってしまう人、あえて使わないように行動を制限する人
どちらも何かを我慢し続けている」事に違いはない。

そしてその我慢は共通したものである。

それがこの問題の本質であろう。
そうであるはずなのに、運営は仕様と言ってみたり、禁止と言ってみたり。
ゲームに感じる楽しさの方向が違うだけで「処罰する」とされたのだ。
本質を突いた根本的解決ではない。(=是正ではない)
これは応急処置にすぎない。

半歩を使うかどうか、許容するかどうかはプレイヤー毎のゲームに感じる楽しさの種類が違うだけなのだ。だから僕は掲示板やSNSにおける「半歩厨ざまぁ」だとか「半歩理解もしてないで云々」というプレイヤー同士の対立に違和感を感じるのだ。本質的ではないからだ。

運営の健闘により、見えるものが見えたとおりに判定され、通常の操作で「不正だ」と言われないような状況になること。これこそが本当の問題解決であるはずだ。とても難しい事はわかっている。だから半歩は仕方ないとは僕は思わないし、かといって全員が使えば平等とも思わない。それ以前の問題として、ゲームとして非常に厳しい問題を抱えたままだと、ずっと思っている。


====

■半歩についての罪悪感

僕はドミニオンが始まる時に発売されたパッケージを購入した。
そのパッケージをインストールして、いざサービス開始となったその日に入院した。
3ヶ月ほどして、A鯖のエルソードにキャラを作ったのが最初のファンタジーアースだった。
特定難病疾患と診断されてはいたが、緊急の手術だった為所持品としてパッケージが持ち込まれてしまい、ベッド横のキャビネットにパッケージが退院まで入ったままだったのを今でも覚えている。もう7年前の事だ。

Zeroになる前から僕は度々「講習会」を開いていた。未熟だったけれど、参加者や仲間から意見を貰いつつ、自分も成長しながら楽しくできたと思う。

その中で奮起して「ナイト講習」というものを2ヶ月ほぼ毎日休みなく、1回90~120分という枠で続けた事がある。参加者が一人でも居れば必ず開催しようと心に決め、それを実行に移した。

講習はチュートリアルを利用し、実際に操作してもらう事を信条とした。言葉だけでは納得されないと考えたからだ。対戦ゲームは皆「強い者が正義」だから、言葉で納得できそうでも、実力がなければ言う事をきかないものだと考えたのだ。
講師として、せめてナイトの1:1では負けるわけには行かなかった。事実、僕は負けなかった。なぜなら、その時からいわゆる「半歩の構造」に気づいていたからである。

何年か前からSNSで騒がれている「最大効率の半歩」(マクロは除く)についてもすぐに気づいてしまった。位置ズレとHIT判定の関係に気づいた時にそのまま、こうすればそうなるのでは?と思い、テストしてみた所それがうまくいってしまったのだ。

ナイトの講習は「護衛の仕方」に重点が置かれていた。その為に「徹底して後出しに専念する事」を教えた。4人がかりで僕を襲ってもらい、僕は一切反撃をしない。その状態で僕を倒すのがどれだけ難しいかを体験してもらった。
ナイトの攻撃は大降りだし、お互いに歩行速度に差がない。だからよほど僕がミスるか、運が悪くない限り、相手が4人程度であれば攻撃を避けることは大したことではなかったのだ。それは今でも変わらないだろうと思う。

次に「反撃をする」と宣言した。はじめは驚く参加者だったが、そうなると僕は簡単に沈むのだ。相手の攻撃をみてからカウンターを重ねれば、攻撃は簡単に当たるという事をこの講義で実践した。

実際に協力者を得て、ジャイアントを護衛する練習もした。僕がジャイアントを襲い、それを阻止するという内容だった。はじめは腕に自信のある参加者が、僕に対しあえて先手攻撃してきたが、逆に僕のカウンターを食らい、護衛人数を減らしてしまうという事があった。内容としてはとても良かったと思う。

しかし問題があった。ナイトの小攻撃にうまく反応できず、カウンターを重ねられない参加者がいたのだ。
そうなると「基本的には後出しで護衛するんだよ」という指導にも不信感を募らせてしまう結果になった。後だししているのにうまく当てられないじゃないかと。多少の練習は必要だよと説いたが、なかなか苦労した。

回を重ねる中で、小攻撃の課題をなんとかしたいと考え付いたのが「引き打ち」の訓練であった。相手の小攻撃にほぼ即反応する形で重ねれば、どんな下手な人でもまず間違いなく一方的に反撃できるというものであった。これは特に反響があり、その後の護衛練習でも役に立ったという声が多かったのを覚えている。

しかしこの引き撃ちは「半歩」と原理を同一にするのであった。

確かにナイト講習は、護衛になるべく専念し、不用意な先制攻撃を控える事で結果的に効率の良い護衛を実現し、ひいては戦争全体の勝率を高めるという思想の伝達を目的としてはいた。
だが、引き撃ちは「一方的な強さ」というとても甘い欲求を満たすものであったように思う。

結果として僕は「半歩を広めた」人間の一人だったのだ。

片手として前線に出る事は多かった。僕はそんな状況だからガンガン半歩を使っていた。5、6年は前の話だ。その時の僕は「これだけ簡単な操作なら、近いうちにすぐ誰かが気づいてどんどん広まるだろう」と考えていた。そしてそのまま「多少は必要な技術として定着するのかな」などと楽観的に捉えていた所があった。

だがそうはならなかった。前線で言われる事はなかったが、輸送ナイトをしている時に、襲ってくる相手を難なく迎撃しているとよく「ラグすぎる、見直せ」と怒られたものだった。半歩の性質上、ナイトはその効果が歩兵よりも極端に大きく、知っているかどうかの差は大きい。勝者は無傷で、敗者は理不尽な思いを残すような結果になるほどのものであった。

それでも僕は運営に今で言う半歩の件をメールしたりして、すぐ解決するだろうと思っていた。
ナイトの講習はとても感謝されたし、いまでも覚えてくれている人がいる。とてもありがたい。
だけれど、ずっと、なんともいえない罪悪感がまとわりついている。
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テーマ : ファンタジーアース ゼロ
ジャンル : オンラインゲーム

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